おすすめ事前学習
これを知っていると、スリランカ旅行が何倍も楽しく、そして有意義になる!
オススメの事前学習です♡
といっても、さらっと読む程度で十分なので、ぜひ知ってから旅立ってほしいです♡
スリランカへの恩
日本人として
知っておきたい
第二次世界大戦で敗戦した日本。
多額の賠償請求案が出される中、大の親日家であった故ジャヤワルダナ元大統領は、1951年のサンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席し、スピーチをしました。
「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」
と、仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権の放棄と、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴えました。
この演説が、厳しい制裁処置を求めていた一部の戦勝国をも動かしたとも言われ、日本が戦後国際社会に復帰するきっかけを作りました。
日本のスリランカへの支援
知らないところで
感謝されています
日本は長きに渡り、スリランカを様々な形で支援しています。
無償資金協力、有償資金協力(自立を促すためお金を貸す)、専門技術の移行、そしてボランティアの派遣。
スリランカには「From JAPAN People」というステッカーがあるものが大きなものから小さなものまで様々です。
例えば、市役所の棚、救急車、高速道路の看板…私たちは知らないところで世界に支援をし、感謝をされていることをスリランカに行って感じずにはいられません。
スリランカの人たちはそれを知っています。親日家の理由はここにもあります。
きっと、帰る頃には日本に生まれたことを、ほんの少しだけ誇らしく思うはずです。
そして、スリランカから学ぶことがとても多いことにも、気付きます。
統治されていた時代のこと
しなやかで強いスリランカの歴史
スリランカはポルトガル統治時代が16世紀初頭〜1658年、オランダ統治時代が1658〜1796年、イギリス統治時代が1796〜1948年、イギリス自治領時代が1948〜1972年と長い間他国に統治されていた歴史があります。
街中を歩けば、その面影を今でも見ることができます。
有名な「セイロンティー」として紅茶の栽培が始まったのも、イギリス統治時代。
また、ヌワラエリヤなどの避暑地では建物の雰囲気、競馬場、大きな公園などまるで別の国に来たかのような錯覚に陥ります。
長い植民地の歴史を経ても、スリランカとしての文化を失わず、しなやかに生きて来たスリランカの人たちの想いや強さを感じます。
内戦終了は2009年
激闘の歴史
強国からの統治が続いたスリランカですが、独立後にも争いは絶えませんでした。
1948年に念願の独立を果たすも、1956年には多数民族のシンハラ人を優遇する政策を掲げる者が選挙で圧勝し、くすぶっていた民族問題が本格化します。
そして、異なる人種同士(シンハラ人・タミル人)の内戦が1983年本格化します。
この内戦が終了したのは2009年。
本当に長い間、争いの渦中にあったスリランカの人たちが「爆弾」や「爆発」ということに、不自然なほど慣れていると感じたのは、まだ私がスリランカにいた2019年4月の同時テロの時でした。
平和な日常がいかに尊いか、そして一瞬でなくなることをスリランカの人たちは知っています。
ごみの問題
死者も出るゴミ山
ものすごい勢いで発展しているスリランカは、それと同時に海外から色々な物が入って来ています。
食べ物、文化、人、最新機器…。
そして、それを知識的にも物理的にも処理しきれないまま、どんどん進んでいます。
例えば、便利なインスタント品が増えれば食生活は変わります。でも、それを続けるとどうなるのかという知識がまだ追いつかず、前に出て来たような肥満や健康課題が生まれています。
プラスチック製品や、使い捨ての物もとても増えました。でも、それを今までと同じようにポイ捨てしても土にはかえりません。今までと同じように庭で燃やしたら有毒なガスが出ます。
スリランカにはまだ、ゴミを燃やす技術がありません。なので、集めて積み上げるだけです。
日本もまだまだですが、せめてポイ捨てだけはなくならないかなと思ってしまいます。